【資料紹介】関ヶ原直前の東濃



                           徳川家康御直筆

関ヶ原合戦直前の東濃

 関ヶ原合戦は慶長5(1600)年9月15日、一日で 決着。徳川家康の東軍が石田三成の西軍を制しますが、 その直前、美濃では岐阜城の織田秀信が西軍につき、 ほとんどがそれに従いました。家康は中山道筋はかつて 豊臣に従わず追いやられた遠山友政に旧領を安堵(あんど)(土地の支配権・知行権などを承認)すると 約束し、先鋒として苗木城奪還を命じました。同時に郡上 から加茂・恵那北へ移された遠藤慶(よし)隆(たか)に対して東軍に つくようとの密書を友政に託しました。遠藤が郡上へ戻る と、遠藤がいた加茂・恵那北は遠山に戻るという、連動 する旧領安堵でした。

 恵那南と土岐郡には岩村の田丸直(ただ)昌(まさ)が西軍でいます。 これを攻めるに、かつて追いやられた明智・小里に旧領 安堵を約束し、田丸を攻めますが、同時に土岐郡南部に いた妻木雅楽(うた)助(のすけ)に東軍につくように働きかけ、妻木はそれ を受け入れて田丸に戦いを仕掛けます。

 東軍につく決意をした妻木に対し、家康は続けて書状を発し ます。8月15日・20日・27日・9月8日と連続した書状 が残り、最初の重要な15日付け(『遠山友政公記』参照) は妻木にありますが、2通目・3通目は遠山史料館に所 蔵されています。 8月20日の書状を紹介します。

  「注進状は披見した。貴意を得られ候。其元を 以て騒動の処、数多くを討ち捕らえた由、とてもよかった。 ますます仕置等油断なきように。(私も)近日出役せしむ。 なお右大夫(永井右近大夫)から申し上げさせる。恐々謹言 八月二十日  家康 花押      妻木雅楽助殿 」

 家康が江戸を発つのは9月1日ですが、味方をつかみ 鼓舞するために書状を連発する当時の武将のきめ細やか な配慮が感じられます。



掲載(最終更新 : 2019年12月14日)

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