【資料紹介】「いだてん」肥後との旧縁



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                   写真は肥後2兄弟預け書

「いだてん」肥後との旧縁

 苗木藩士の子 可児徳【いさお】は東京高等師範学校(筑波大学)助教授で徒歩部部長(陸上部監督)、徒歩部学生「いだてん」金栗四三【しそう】(熊本)と師弟の関係にあり、第一回箱根駅伝の優勝監督でした。
 金栗は肥後熊本出身ですが、苗木は江戸時代の初めから肥後人との縁がありました。
 熊本52万石は加藤清正の死(1611年)後、お家騒動で家中対立。将軍秀忠が裁き、一方が斬刑・流刑になり、26名が預かりになります。
  初代苗木藩主遠山友政が預かったのは近藤(のち伊地知)兄弟。父が清正の家臣だった2少年は、苗木城下で小栗家の世話になり、生涯を過ごします。
 遠山家の菩提寺であった雲林寺の墓地で2兄弟の墓碑を発見しました。 兄近藤(伊地知)伝六の墓碑には、 延宝6(1678)年7月21日没  ※76歳   墓碑裏に 生地九州肥後  小栗法印立之 弟近藤(伊地知)新之丞は過去帳に、  寛文8(1668)年7月19日 肥後殿預【あずかり】人 ※64歳  とあり、共に高齢で苗木に骨を埋めました。
 さくら公園の下、送電塔の下段墓地のさらに下の原野に小さな古い墓が3基だけありました。
 没年は正保3(1646)年・寛文4(1664)年・寛文11(1671)年とあり、極めて古く、最後の一基だけ正岳院過去帳に「肥後之生縁 池辺藤兵衛」と記載がありました。
 三基の他に墓はなく没年が伊地知2兄弟に近い(少し早い)ことから、3人は肥後から付いてきた奉公人ではないかと考えられます。  いだてん金森四三は、肥後の池辺(池部)家に養子に入り、オリンピック資金などの援助を受けます。
 苗木の墓の池辺と縁があればと夢想もします。



掲載(最終更新 : 2019年10月 1日)

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