【資料紹介】武士の「芸術」



武士の「芸術」

「芸術」は今は美術・音楽・書道などをいいますが、江戸時代は武芸・文芸の稽古事(芸事(げいごと))すべてをいったようです。
「諸侍并足軽諸芸術目録以上  文化15(1818)年3月」に苗木藩の家臣・足軽で免許皆伝など目録を得た人々の一覧がありますが、そこには兵学・馬術・剣術・弓術などから、(うたい)・立花(生け花)・算術まで、30の流儀が列記されています。小藩で侍・足軽三百人程なのに芸術が多流あるのは、今の学校のような「一斉授業」からすると不思議ですが、彼らの三分の一は江戸詰めで、藩の稽古場がなければ、個人で道場へ行ったのでしょうか。
 目録を得た侍の数が一番多いのが、楊心流柔術30名でした。明治になってからの「柔道」ばかりが頭にありますが、柔道以前の「柔術」の目録者が多いのは想定外でした。
 次に多いのが日置(へぎ)流弓術で師範の岩井矢次兵衛以下、13名。次は越後流(上杉謙信)兵学で福田次郎右衛門以下11名。小笠原流騎射は鈴木靱負(ゆきえ)以下10名。
 それでは、個人別で見ると文化13(1816)年の分限帳(藩の職員録)では、筆頭家老の吉田太郎市(150石 58歳)は甲州流軍術・越後流軍術・山鹿(やまが)流軍術・長岡流(けん)術・ 山松流鉄炮・能嶋流舟軍・阿蘭陀(おらんだ)流町見・掬流箭弓・自勝流軍馬鞍堅・玉輪流立花。
さすが武士、目録の多い人がリーダーかと思うと、家老のもう一人(あずま)権右衛門(130石59歳)は目録ゼロ。3位の用人加藤孝右衛門(120石)は道雪流弓術の目録一つのみ。武士の「芸術」実力はどこで評価されたのでしょうか。

naegi-toyama_topics_20180805.jpg

     写真は「分限帳の吉田太郎市」





掲載(最終更新 : 2019年10月 1日)

中津川市苗木遠山史料館
〒508-0101 岐阜県中津川市苗木2897番地の2 メールによるお問い合わせ
電話 0573-66-8181 ファックス 0573-66-9290