【資料紹介】江戸での節句祝



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        友寿の江戸日記                                       

 江戸屋敷での節句

 今は節句と云えば、「桃の節句」(3月3日) が思い浮かびますが、江戸時代は、節句として他に正月7日(人日【じんじつ】)・5月5日(端午【たんご】)・7月7日(七夕【たなばた】))・9月9日(重陽【ちょうよう】)などありました。
 3月3日は、「上巳【じょうし】」(中国では古くは3月の初めの巳【み】の日に禊【みそぎ】をした )といい、日本でも古くから朝廷・貴族の行事として、この日は川辺に出て、祓【はらえ】を行い、宴を張る(曲水の宴)慣わしがあったようです。民間では古くから婦女子の祝日として草餅・桃酒・白酒などを食したが、ひな祭りはのちの習慣といいます。
 ここでは、江戸屋敷での「上巳」の日(3月3日)を、十一代藩主遠山友寿の江戸日記(文化  15=1818年)から見ます。

 上巳の祝儀を、(河内)左中・用人共・留守居・医師・目付・(陶山)丈右衛門・納戸【なんど】・賄【まかない】まで受けた。次の間で、「次」(控え)の一同・右筆【ゆうひつ】・安藤周蔵の祝儀、披露は左中が行った。廊下に於いて、作事奉行・買物方、披露【ひろう】は(加藤)孝右衛門が行う。玄関では、表方一同が並んだ。
 それより(江戸城へ)登城した。退出は九ッ時 (正午)前だった。
 権家(有力者)お勝手へ上巳の祝儀、使者は左中。※  奥(奥方)より祝儀、丈左衛門が受けた。麻布【あざぶ】(下屋敷)よりは(棚橋)庄兵衛来る。彼方よりも使い、(堀尾)左盛が相勤めた。
 (江戸城)退出後、奥へ祝儀に罷【まか】り越した。  
 ひらめ2尾、鈴の口(奥の入り口)より奥に遣【つか】わす。
 夕飯は一汁二菜、冷酒・山形するめで祝う。 但し奥にてやった(奥様と一緒)。菱【ひし】餅が勝手 (台所)から来る。
 お綏【やす】(3歳)の部屋へ雛【ひな】見物に行く。※
 
※の2項は2年後の日記から転用しました。 「上巳」の日に行われた行事を見るためです。

まだ古くからの「上巳」が中心で、ひなまつりの雰囲気はわずかですね。


の2項は2年後の日記から転用しました。 「上巳」の日に行われた行事を見るためです。


掲載(最終更新 : 2019年10月 1日)

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