【資料紹介】給人石垣(「苗木伝聞記」)



 「苗木伝聞記」は江戸後期に苗木藩士の曽我祐豊(すけとよ)が記した小冊子です。
 「苗木伝聞記」には珍しい記述がいくつかあります。

 「御城に給人(きゅうにん)石垣と呼び来り候石垣有り
  これは其頃給人の面々出候て自分に拵(こしら)え申し候由
  其時久兵衛様にも御立付召されられ候て其場へ御出に成りいろいろと御差図成られ候よし
  申伝え候」

 慶長5年(1600)、18年ぶりに苗木城を奪還した遠山久兵衛友政の、築城する姿が見えて面白い記事です。
 名古屋城は幾人かの大名が、石垣を分担して築いたことが知られていますが、その小型が苗木城にもみられたのです。
 「給人」は苗木藩上級家臣20余家の格式で、幹部が分担して石垣を築き、大名自らも出て指図をするという姿が目に浮かぶようです。
 なお100余年後の享保3年(1718)、南信濃大地震により石垣23ヶ所が崩壊しました。その時幕府に石垣の修理を届け出た絵図が有ります。以後はその修理後の石垣が明治まで続きました。

 苗木城で幾ヶ所か見られる初期の野面(のづら)積み石垣は、天正13~14年(1585~6)のものと云われます。
 天正11年(1583)、友政が苗木から家康の下へ去った後、森長可(ながよし)が東濃を支配し、翌年長可が死んだあとは森忠政に替わります。苗木城には森家家臣の林新右衛門が在城、彼がその石垣を築いたようです。
 天正13年(1585)に天正の大地震がありました。大永6年(1526)、高森(苗木)へ遷(うつ)ってからの城砦(じょうさい)は、この大地震で崩壊し、そこで石垣が新設されたと見られます。(ち)



掲載(最終更新 : 2018年3月27日)

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