【資料紹介】遠山友政夫人の晩年



 苗木領主初代大名の遠山友政は、1619(元和5)年に歴戦の生涯を64歳で終えました。
 友政の夫人、松夫人は戦国の高山城主平井頼母(たのも)(現・土岐市土岐津町高山)の娘(2女)でした。松夫人は友政の没後17年の1636(寛永13)年に亡くなります。友政は生存していたなら81歳で、結婚して56年の松夫人も80歳近かったと推定されます。
 松夫人の晩年の姿を描いた法要に用いるための軸物があります。(下図)

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遠山友政夫人 松

 これについて1645年に雲林寺3代一秀(いっしゅう)和尚が以下のように賛しています。

 寡孤獨者 無喜怒哀楽 差頭上白帽 面目真殊勝
 自至身上衲衣解脱眼淡袱 相宜常恣風情
 用意不観露往霜来這介老婆子・・・

 一秀和尚は「白帽を頭上に、喜怒哀楽もなく・・・」と表現しています。確かに夫を失い、2代領主秀友(ひでとも)は実子でないという境遇のためか、描かれている夫人は寂しげですが、夫人には縁故者が多くありました。
 松夫人の父である高山城主平井頼母には、3人の娘がいました。
 長女は高山の隣村、浅野館の浅野十郎左衛門に嫁ぎましたが、1584年の小牧長久手の戦いで、夫は早くに戦死。その後苗木の鈴木惣兵衛(そうべえ)と再婚します。長女(惣兵衛妻)の死は1642年、90歳程だったでしょう。
 松夫人(2女)の妹(3女)は苗木の加藤七左衛門に嫁ぎ、苗木北谷(きただに)で住居地も推定できます。1630年の没で、それでも70代でしょう。
 松夫人と友政の間に出来た3人の娘は豊かでした。
 長女は生駒利豊(いこまとしとよ)(尾張江南、のち旗本)に嫁ぎ、1667年没、82歳。夫、利豊は96歳で没。
 2女は木曽の山村良安(たかやす)に嫁ぎましたが、夫が27歳で切腹。苗木へ戻り、その後京都の五十川了庵(いそがわりょうあん)(著名な出版者)と再婚、1678年90歳で没。
 3女は尾張熱田の名家加藤図書助(ずしょのすけ)に嫁ぎ、78歳程で亡くなっています。
 このように松夫人の姉妹、娘はみな長寿でした。
 平均寿命がはるかに短いと思われる時代に、友政の松夫人は寂しいだけの環境ではなかったと思われます。(ち)

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松夫人の長女(生駒夫人)の家形墓碑



掲載(最終更新 : 2018年3月22日)

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