【資料紹介】雲林寺本堂の棟札写



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  薩訶(まか)世界南瞻部(なんせんぶ)洲扶桑(ふそう)国
  東山道美濃州慧那(えな)郡苗木城阜
  天龍山雲臨精舎(しょうじゃ)新方丈建立
  大檀那源朝臣遠山嫡家友政公矣
  花園派下住持比丘(びく)中華玄太誌写

  大工藤原朝臣洞地宗六郎正次
  于時(ときに)慶長十九年甲寅菊(9)月吉日

 雲林寺は苗木藩主遠山家の菩提寺として1614(慶長19)年に建立されました。今から403年前になります。
 1614年、初代大名遠山友政は、大坂冬の陣で出陣した桑名の本多忠政の留守居として、翌春まで3ヶ月間、桑名城を守りました。続いて5月には大坂夏の陣で戦いました。
 雲林寺はその頃に建てられ、1870(明治3)年10月までは存立していました。しかし廃仏廃寺(廃仏毀釈)の後、取り壊されたと思われます。
 雲林寺の場所は、中津川市苗木遠山史料館前の道路(大門通り)を南に下ると、正面(現在は道路上)に雲林寺の山門がありました。山門の左右は高い塀で、左右に7~8間ありました。
 門から入り、右に折れて方丈(本堂)に至り、方丈は9間×10間の板葺でした。本堂の礎石が苗木遠山史料館そばの民家の畑に現存しています。
 庫裏(くり)(食堂)はその右、書院はその裏で、本堂の裏が十三仏堂(位牌堂)という配置でした。
 なお寺内に塔頭(たっちゅう)(小寺院)の正岳院(しょうがくいん)があり、その跡地は現在の苗木遠山史料館の駐車場にあたります。
 創建当時の住職は2代中華和尚です。
 廃仏毀釈(明治3年)の嵐を受けたのが17代剛宗(こうじゅう)和尚です。剛宗和尚は藩の許可を得て、寺の什物(じゅうもつ)を持ち出したので、過去帳(苗木遠山史料館所蔵)の他、大般若経六百巻(佐見)・涅槃図(ねはんず)(高山市)・袈裟(けさ)(下野)・歴代住職頂相(ちんそう)(肖像画のこと・下野)・釈迦十六善神図(蛭川)・黒地蔵(乗政(のりまさ))・文書(付知)などが今に残ります。

 棟札(むねふだ)について説明します。
 「薩訶」は誤字であり、正しくは「摩訶(まか)」で大きいという意味
 「南瞻部洲」は古代インドでは世界は東西南北の4洲にわかれており、その内の1洲のこと
 「扶桑国」は「日本」
 「雲臨」は「雲林」
 「源」家は間違いで「藤原」家
 「花園派」は「臨済宗妙心寺派」
 「比丘」は「男僧」
 「玄太」は過去帳や墓碑には「玄等」とあります。
 「大工」の「洞地」は、江戸初期から明治に至るまで、代々苗木藩お抱えの大工です。城内の建築だけでなく日比野(中津川市苗木)の神明神社・福岡(中津川市福岡)の榊山神社(牛頭(ごず)天王)の普請にも名が残っています。(ち)



掲載(最終更新 : 2018年3月22日)

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