【資料紹介】苗木で最も古い石灯籠



naegi-toyama_intro_20150101_1.JPG 苗木遠山史料館に近い永寿寺(えいじゅじ)には、古い石灯籠が3基あります。いずれも古いものですが、最古の石灯籠を調べました。
 その石柱に
  正保三年十月吉日 為大寶寺殿智岳宗勝居士安置焉
      施主 遠山三郎殿兵衛殿 造主
とあるのが読めました。
 大宝寺殿智岳宗勝居士(だいほうじでんちがくしゅうしょうこじ)のために、ここに(石灯籠を)安置したということですが、この「大宝寺殿智岳宗勝居士」は、苗木2代藩主遠山秀友(1609~1642年)の戒名でした。施主は遠山三郎兵衛(さぶろうべえ)とあり、2代秀友が卒して4年後の1646(正保3)年に、筆頭家老の遠山三郎兵衛(300石、秀友の従兄弟)が奉納したと推測されます。もともとは御霊舎(おたまや)墓地の秀友の墓の前に置かれたものでしょう。
 三郎兵衛は4年後(1650年)には、当時居住した大久郷(おおくご)(弘法堂前)に、父遠山勘兵衛(1647年没)夫妻の供養碑を建てています。
 三郎兵衛の父遠山勘兵衛は、遠山友忠と山内治部(じぶ)(中野方)の娘との間に生まれた友政の異母弟で、2代秀友(甥)が年少のため、城代家老として苗木藩をリードしました。勘兵衛は300石待遇で大久郷に居住。三郎兵衛はその後継でした。
 こうして苗木の初期の石碑3基は、いずれも遠山三郎兵衛が建てたものであることがわかりました。遠山三郎兵衛の故人に対する篤い志をそれらの石碑に見ることが出来ます。
 しかし現在の処、三郎兵衛本人の墓碑は確認できません。三郎兵衛の子、2代目勘兵衛(祖父の名を継ぐ)が父の墓を石塔にする前に無駄死にしたからでしょう。
 1664(寛文4)年10月、家老だった勘兵衛の家へ、従兄弟である遠山太左衛門が訪れ、刃傷に及び、二人とも切り死にするというとんでもない事件が起きました。藩主の親戚で家臣の1、2位にあった両遠山家は断絶となり、家臣の遠山家はそれ以降存在しません。
 なお永寿寺は、明治初期に廃寺となった雲林寺を再興させるための拠点として建てられ、近所の無縁となった石造物が寄せられて来た歴史があります。(ち)



掲載(最終更新 : 2018年1月16日)

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