【資料紹介】広恵寺の制札



 1569(永禄12)年6月に、苗木高森城の遠山直廉(なおかど)が、植苗木(うわなぎ)(現・中津川市福岡)の広恵寺(こうえじ)に制札を出しました。
 この頃の制札は、支配者が交替した時、寺などが新たな支配者に保護されていることを公示して、無駄な被害を免れようと立てたものです。

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 高野山の過去帳によると、1569年6月18日に雲岳宗興大禅定門(うんがくしゅうこうだいぜんじょうもん)が卒しています。これは直廉の養父遠山正廉(まさかど)と思われます。隠居の正廉が福岡を領地としていたのでしょう。広恵寺の制札は、後継の直廉が、養父の死により、その領地を引き継いだことを福岡村へ公示したものと見られます。
 3年後、1572年5月18日に直廉は病死して、苗木遠山氏は断絶します。まだ40歳前でした。直廉の戒名は、雲林寺過去帳では「雲嶽宗高大禅定門」となっており、養父とほぼ同じです。おそらく断絶した苗木氏では、直廉は法要もされずか、忘れられ、後年法要をした時に、同じ左近(助)である正廉の戒名が、直廉のものと誤解されたのではないでしょうか。正廉と直廉の区別もはっきりしなくなりました。
 12代藩主遠山友禄(とよもし)の日記「覚秘録」(1968年)には、高野山から雲岳宗興(正廉)の300年忌法事(6月18日)を行ったとの連絡があり、それは直廉のことだろうと調べると、直廉(雲嶽宗高)は1572年5月18日卒だったと、そのズレに気づく記事があります。江戸時代後期から、正廉・直廉父子の父正廉が封印され、存在が否定され、2代とも直廉と見られるようになっていたのです。(江戸前期は直廉は見られず、2代とも正廉と見られていました) (ち)



掲載(最終更新 : 2018年1月16日)

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