【資料紹介】下野が天領に



◆収蔵品

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1732年、6代藩主遠山友将が18歳で若死にし、江戸にいた叔父友央が7代藩主を相続しました。 友央は10年前、500石付けて寄合(旗本)となりましたが、藩へ復帰する時幕府はその500石を返さず、 苗木藩は1万石となりました。これは小藩の苗木には大きな痛手で、幕府への対応が拙かったとして江戸家老大脇権右衛門は失脚しました。
 確かに、500石は名目的でしたが、幕府に上知(知行返上)するには場所を特定せねばならず、苗木藩では遠隔 (飛騨に近い)の佐見4村(大野・小野・寺前・吉田)を下野を天領と認めた代官の書状充てました。 1732年、4村は天領(幕府領)とされ、飛騨高山の代官の管理下となりました。
   ところが、13年後(1745)年、代官が長谷川忠嵩から幸田善太夫に替わると、新代官は佐見500石は210石は本 田だが、290石は新田(検地以降、開墾)だから公式には上知出来ない、代わりに別の地で本田290石を出すように と、今になって、大変な要求をしてきました。
 苗木藩では、下野村290石を天領として上知することとしました。代わりに佐見新田290石は苗木藩に戻りました。 下野村は369石だったため、田代地区79石は苗木領に残り上野村に併合されました。(ち)



掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)

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