【資料紹介】源頼朝の宛行状(あてがいじょう)



◆収蔵品

1777(安永6)年

源頼朝の重臣だった加藤景廉(かげかど)が美濃國遠山庄の地頭に補任され、その子景朝(かげとも)が遠山庄へ移り住んで遠山氏を名乗ったことが、恵那の遠山氏の起源であったことは知られていますが、頼朝の宛行状がありました。

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    源頼朝の宛行状

この文書は、文言に疑義がある(景廉は遠山姓を名乗らない。建久6年3月は頼朝が京都に赴く途次也)とされますが、「遠山開記」(1708=宝永5)に「代々相伝物覚」の一項があり、次のように記されています。

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この頼朝公御判とあるのが、写真の行状でしょう。「遠山開記」を書いたのは(遠山)所左衛門直盛(景廉19代)とあります。この人物が今確認できません。

以降、3度にわたって「開記」は書き写され、当館にあるのは、1777(安永6)年にさらに遠山友福(ともよし)が写したものです。

「遠山開記」に記録された宛行状11通とほかに譲状2通(景房かげふさ)の現物は当館にあります。

頼朝書状は確かに古いです。他の室町時代の書状はすべて遠山明智氏が地頭に補任される補任状ですが、なぜ明智の物が苗木にあり、苗木の物が全くないのかわからず、それを残念には思います。

(ち)

※「遠山開記」は「苗木遠山家之譜」に付属して綴じられています。



掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)

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