【資料紹介】家臣遠山兄弟 偶然見つかった墓石



◆苗木城夜話

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雲林寺過去帳六日の項

1664(寛文4)年

 苗木城山近くの高森墓地は苗木藩主遠山家と家臣団の墓地ですが、211年墓碑を調査し、 全てを解読、「雲林寺過去帳」で物故者を解明しました。
 ところが、2012年11月、墓地内の土手下から2基の墓石が新たに見つかりました。  墓碑銘には
 A寛永十八年巳年四月廿九日皈真本岳宗有霊位
 C貞享三丙寅年七月十六日卍一空了眞信士
とあり、これを「雲林寺過去帳」で調べると、
 A本岳宗有禅定門 遠山三左衛門 1641年没
 C一空了眞信士 遠山吉兵衛 1686年没
        遠山吉左衛門子 多年臥心風疾逝去
        (*臥心風疾はノイローゼの事)
とわかりました。

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遠山家家系

家臣遠山家の墓石で、系譜を調べると偶然2人は兄弟で、しかも苗木藩初期で注目される人物 B遠山太左衛門の兄と弟だったのです。(ABCは年の順)  初代遠山友政の縁戚は家臣遠山家として当初3家(すぐ2家に減)がありました。 その当主の一人、家老遠山太左衛門は1664年10月6日、もう1家の当主、従弟遠山カ勘兵衛(初代勘兵衛の孫、300石) 宅を訪れ、斬り合いとなり(理由は不詳)、太左衛門は勘兵衛を斬り殺しましたが、自分もその場で家士の者に討たれました。 このため、重臣遠山両家共断絶となり、遠山を名乗るのは藩主のみとなりました。

 「遠山家家系」にはこうあります。
 B遠山太左衛門 苗木家臣 知行200石
 寛文4(1664)年10月6日 剣死
 於従弟勘兵衛正角宅
 及刃争討正角畢
 即座正角家士 討太左衛門
 両家断絶

 墓石調査をした時、この太左衛門と父の墓が見つかり、注目されました。
 寛文四年甲辰年十月六日 剣岩宗輪居士

 太左衛門は兄三左衛門が若く死んで家督を継ぎ、弟主水(後吉兵衛)は病弱で終身 無禄だったと云います。 3世紀半前の3兄弟が突然見えてきました(ち)



掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)

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