【苗木城跡】苗木城跡散策♪♪天守と本丸



 苗木城跡は木曽川から登城する四十八曲りの入り口(城の東)から一般の武士が登城する竹門(城の北)にいたるまでの全貌が残っています。 その上、巨岩群の上に築いた石垣が張り巡らされています。往時の城の全域が保存されている日本でも数少ない城跡です。

◆天守

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新田瑞気(にったたまき)苗木城見取り図部分

苗木城の天守本丸は巨岩の上に建っています。明治になってこの部分を買った藩士の家臣だった紀野亀五郎維益(これみつ)は晩年、 回顧録「夢物語」を書いたが、その中で「この天守は城山の絶頂、一大岩石の上に建造したもので足台を設けるのも容易でなく、 これを請け負う者もなく、だからといって買い受けの取り消しを云うことも出来ず、困り果てて徒刑囚数十人を借り受け、数十日間を要し、 ようやく取り壊した」と困難だった取り壊しの実態を書き残しています。

 天守も千畳敷も二の丸の屋敷と同様の、「懸造り(かけづくり)( 懸崖造り(けんがいづくり)、もしくは崖造り(がけづくり))」で 建てられています。 天守のあった場所は展望台になっています(2006年5月完成)。この柱は全て天守部の柱のあった場所に立てられました。 つまり、柱や梁だけで再現した展望台なのです。

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当館1階常設展示室の模型から

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木組みのままの展望台

(以下朝日新聞2010年7月8日の」記事)天守閣は2層(地上2階、地下1階)で構成され、岩石の頂上部に最上階があります。 岩をくりぬき柱を組み合わせて、岩から張り出させた「懸造り」と云う工法です。 この再現には2年間かかっています。当時調査を担当した中津川市文化振興課の清水宣洋主査によれば、城は明治維新で壊されたため、 江戸時代の絵図などを参考にしたが、柱の細部が見えなかったり、描かれていなかったりして、建築の専門家と何度も練り直したという。 再現で組み合わせた柱は25ヵ所の当時の柱穴を利用して建てられている。絵図では分からない。 絵図では分からない柱穴は、清水さんが直接巨岩を登って確かめたという。 当初は建物全体を再現する意見というが、清水さんは「当時の城は、まるで空中に浮いているかのように巨岩に張り付いていた。 地形の制約を最大限に生かした建築工法を、柱や梁だけの再現から想像してほしい」と話す。(ま)

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大矢倉、本丸

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東から視た本丸と的場



掲載(最終更新 : 2017年5月27日)

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