【資料紹介】苗木城の解体



◆苗木城夜話

1871(明治4)年

 苗木城にあった苗木藩庁は、1870(明治3)年閏10月27日に、元雲林寺(雲林寺建物はまだ存在)へ仮政庁として移され、 11月22日に、政庁は元雲林寺から藩校「日新館」へ移されました。(「苗木藩次官日記」日新館の一部が旧重臣宅へ移された。)

 政事と教育が同じ場所で行われることになったのです。「苗木藩庁日誌」1871(明治4)年1月26日に「官員一同、旧城へ見分として 罷り越す(まかりこす)」とあります。5日から7日までに城山の家屋・家具調度まで売却となりました。

 苗木藩庁は旧幕時代の多額の債務解消が急務であり、解体された柱1本1本がそれに充てられたと言っていいでしょう。

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苗木城天守の絵図

 「払い物」の代価はわかりませんが、中津川宿本陣市岡殷政(しげまさ)の「風雪留(ふうせつどめ)」(中山道歴史資料館)に 「苗木城は2月上旬、毀し(こわし)売りになった。本丸一円は20両、具足櫓(やぐら)1ヵ所3両2分位、門1ヵ所5両位から15,6両位、 下広間15両、上広間7両ばかり。槍1本3分、具足2~7,8両位まで」等とその一端が見えます。

「払い物」の代価はわかりませんが、中津川宿本陣市岡殷政(しげまさ)の「風雪留(ふうせつどめ)」(中山道歴史資料館)に 「苗木城は2月上旬、毀し(こわし)売りになった。本丸一円は20両、具足櫓(やぐら)1ヵ所3両2分位、門1ヵ所5両位から15,6両位、 下広間15両、上広間7両ばかり。槍1本3分、具足2~7,8両位まで」等とその一端が見えます。

 家臣だった紀野亀五郎維益(これみつ)は晩年、回顧録「夢物語」を書いたが、その中で「明治4年天守閣を始め各楼閣(ろうかく)、 城門、土蔵その他すべてを数区に分かち競争売却に付されたが、いずれも法外の安価にして特に天守は望む人が少なく、私はこれを 買うことにしたが、そのまま保存しておくことが許されず、急ぎ取り壊すことになった。

 この天守は城山の絶頂、一大岩石の上に建造したもので足台を設けるのも容易でなく、これを請け負う者もなく、だからといって 買い受けの取り消しを云うことも出来ず、困り果てて徒刑囚数十人を借り受け、数十日間を要し、ようやく取り壊した。これに買い入れ 代価の数倍の費用を払った」として、「失敗中の失敗」と悔いています。

 こうして家臣を巻き込んで、売りさばき、藩庁の借財を大きく減らし、7月の廃藩置県にいたります。(ち)



掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)

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