【資料紹介】将軍秀忠から預かった肥後侍



◆展示品紹介

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肥後の近藤河内の弟16歳と14歳を
預けるという老中から友政への書状

 苗木高森墓地に古い不明の墓があり、雲林寺過去帳で調べると、 元和4(1618)年2代将軍秀忠からの依頼で初代大名友政が預かった肥後熊本藩の2少年の一人だったことがわかりました。

 熊本54万石藩主加藤清正が1611年に没すると、家中が二分裂し、1618年一方が相手方の疑惑を幕府に訴え、ついには8月10日将軍秀忠の前で審判が下され、 相手方が流罪・斬刑に処せられました。若いが2千石格の近藤作右衛門兄弟4人は三河伊保藩へ2人、苗木藩へ2人が流罪となりました。 その末弟と思われる近藤(伊地知)新之丞は50年後、64歳で亡くなり、その墓だったのです。もう1人の預かり人兄の伝六はその10年後に76歳の生涯を終えました。墓は不明。


 驚いたことに、その葬儀を依頼したのは岩村藩の近藤作右衛門でした。伊保藩主丹羽氏信が岩村藩へ転封され、預かり人作右衛門も岩村に来ていたのでした。 長兄作右衛門は80歳になっていたでしょう。

 大事件の関連で古郷肥後から遠く離された3兄弟が半世紀後まで岩村と苗木で交流があったという400年の時空を超えた夢のような出来事がわかりました。(千早)

恵那山2011年1月号



掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)

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