【資料紹介】さらに異色 写真家の鈴木三蔵



◆展示品紹介

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 津戸の鈴木三蔵(さんぞう)といえば、ふんどし橋として有名な美恵橋(みえばし)を架橋させたことで知られていますが、 明治の初期、三蔵はさらに異色の場面で、いくつか登場します。

 明治3年日新館の会計係だった三蔵は苗木藩村取締に任じられ、各村に穴牢を作らせますが、それは三蔵の個人的な指示だったからと撤回命令が出ています。 広く貢献したのは恵那郡農談会会長・蛭川村の安弘見(あびろみ)報徳社の啓蒙推進などが注目されますが、その他に珍しい業績を一つ紹介します。

 明治当初、当時会計主任だった宮地作左衛門のメモに「明治元年秋西洋各技術の漸く東京大阪へ伝わる頃、 苗木藩に於いて歩卒鈴木三蔵を大阪に遣わし初めて写真術を研究せしめ、帰国の後城内にてこれを写さしむ」とありました。
 そして、遠山友禄(ともよし)「知事日記」明治2年「6月22日鈴木三蔵大坂発28日苗木着」とあり、三蔵が元年の秋に大阪へ修業に出掛け、 写真術を学び翌2年6月に苗木に戻ったらしいと推測できます。この時、三蔵37歳。
 だから、明治2年後半から数年間の苗木の写真は鈴木三蔵が撮った物と推定していいでしょう。
 すると、明治2年12月に竣工した苗木の藩校日新館の写真は、良く知られ貴重なものですが、 おそらく鈴木三蔵が撮ったものだと思われます。明治初期の苗木で撮られた写真を探すと、そのいくつかが三蔵の作品だったことになりましょう。
 子孫の鈴木家には日本で3台しかないという三蔵の箱形写真機があったそうです。(千早)

恵那山2010年10月号



掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)

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