【資料紹介】百年忌に建てられる藩主墓碑



◆収蔵品紹介

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丹羽海鶴筆の友寿碑

 苗木高森墓地には歴代藩主が並びますが、なぜかいずれも没後100年、百遠忌法事の折りに建てられています。 例えば初代遠山友政は元和5(1619)年に逝去しましたが、現存の墓は100年後、享保3(1718)年に建てられました。 以下江戸末期まですべてそうです。

 慶応4(1868)年3月、藩主遠山友禄は「100年間は御霊屋に入れられ、それから石碑を建てるのは何故か、 規則はあるか」と菩提寺である雲林寺の剛宗和尚に尋ねました。 和尚が「規則はありません」と答えると、今は戦国の世となったから、今までの決まりはやめて全員を、 可能なら出来る順に墓を建てたらどうか、と改めて求めました。(遠山友禄「覚秘録」)

 慶応4年3月に神仏分離令が出されてから、苗木城内にあった龍王権現などは高森神社などに一新されますが、 明治3年排仏廃寺の激震の前に、旧来の慣習に見直しを問う動きが藩主にあったようです。

 なお高森墓地で10代友随・子友福・孫11代友寿の墓碑揮毫は明治の日本的書家丹羽海鶴(田瀬出身)、7代・9代は書家小室樵山によります。 他は和尚の筆が多く、見所を変えて文化財として墓地を見直しては如何ですか。 (千早)

恵那山2010年4月号

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百年後の墓碑理由を問う遠山友禄「覚秘録」



掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)

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