【資料紹介】石原正三郎定安議員 下問書に答える



◆展示品紹介

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見聞雑話

 明治2(1869)年3月、明治新政府は公議所を設け、国政に関して次々下問して各藩から提言を求めました。 苗木藩からは公議所議員に石原正三郎定安(しょうざぶろうさだやす)(26歳)が選ばれ、石原は4月13日に「国体御下問の儀につき四条答え奉る」を提出します。

① 封建と郡県だと政令が別々に出る。一つに制した方がよい。
② 郡県にすれば上下が気脈を普通に通じ朝旨が一致できる。
③ 封建の儀は時勢に適さない。
④ 諸侯(旧大名)は貴族と称し、一時郡宰(ぐんさい)とする。もし旧主が若くて障害(しょうがい)
 になれば、旧藩士の内、賢徳の者を選び、代理とする。付属役は貴賎の別なく抜擢(ばってき)
 するべきである。そうでなければ固陋(ころう)の細民を御し難くなる。

 以上は曖昧のようだが、これを急に施せば人心紛擾(ふんじょう)し、害が多く利は少ない。だか漸(ぜん)をもって確率をすべきである。 公議所は七月に衆議院と改まりますが、石原は12月まで議員として東京に滞在します。石原の提言は他に「見聞雑話(けんぶんざつわ)19」に4件が載せられています。

 地元苗木藩では10月の職制改革で石原は留守ながら苗木藩トップの「大参事」(青山直道大参事の上位)となりました。 翌3年の排仏廃寺の折は逆に青山直道が衆議院議員(5~9月)として東京に居り、苗木での排仏の徹底は石原正三郎定安らが全てを仕切りました。(千早)

2012年1月号



掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)

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