【資料紹介】遠山左近助へ宛てた信玄書状



◆展示品紹介

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信玄書状

 甲州の武田信玄が恵那の遠山兄弟(岩村の景任(かげとう)と苗木の直廉(なおかど))に宛てた書状は2通が知られていますが、 他に苗木の遠山直廉(左近助)に宛てて、「飯豊(おぶ/後の山県)三郎兵衛が飛騨に入ったから、益田へ出兵せよ」と指示した書状があります。

 書状には7月15日の日付があり、永禄7年(1564)年の事と思われます。この時は直後に上杉謙信が川中島に呼び戻し、遠山直廉と三木氏の合戦はなかったと思われます。 三木氏は織田信長や上杉謙信に近く、岩村と苗木遠山氏は武田信玄と結んでいました。 翌永禄8年、信長は尾張にいた妹の娘(苗木遠山の遺児)を信長の養女として勝頼に嫁がせて信玄と縁戚関係を結んで岐阜へ進出、美濃制覇へ乗り出します。

 直廉は元亀(げんき)3(1572)年春、やはり信玄の指示で飛騨へ出兵、威徳寺で萩原の三木次郎右衛門と戦い勝利しましたが、 矢傷を受け苗木に戻って5月18日に病死したようです。苗木遠山家は絶え、信長はその跡を飯場の遠山友勝に継がせます。苗木の飯場遠山家の始まりです。

 岩村の景任も弟の死に続き、8月14日に病死、武田信玄も翌年春、西上途上で病死しました。 史料館の書状は、今まで一般に知られていませんでしたが、最近武田研究者の中で注目されるようになってきました。現在、史料館に展示中です。(千早)

恵那山2009年7月号



掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)

中津川市苗木遠山史料館
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