【資料紹介】苗木城の成立



友政公座像(苗木遠山史料館所蔵)

◆ 展示室案内 

"苗木領の成立"コーナーの紹介

 慶長5年(1600)、石田三成は徳川家康を追討するため兵を挙げました。この時、上杉景勝を討つため、下野国(栃木県)小山にいた家康は、遠山友政を召し出し、 木曽・東美濃地方の地理について尋ね、「木曽筋の逆心の輩を追い払い、苗木・岩村両城へ駆け向かい、これを受け取るべし」と命を下したといわれています。

 時の岩村城主は田丸具忠(ともただ/注1)、苗木城主は川尻直次(なおつぐ)がおかれ、ともに石田三成方(西軍)に属して、大阪に出兵していました。

 さっそく、苗木城にむかった友政は、城代であった関治兵衛を攻めて開城させました。また、山村甚兵衛良勝、千村(ちむら)平右衛門良重らとともに岩村城を包囲し、 開城を促しました。 これらの功績により友政は、家康より1万523石余の領地を拝領しました。

 内訳は恵那郡11カ村、加茂郡35カ村の都合46か村で、木曽川、付知川、飛騨川が境界となっています。現在の市町村でいうと、中津川市(日比野村外2カ村)、 恵那市(中之方村他4カ村)、福岡町(田瀬村外3ケ村)、坂下町(坂下村他1カ村)、白川町(犬地村外21カ村)、八百津町(福地村外1カ村)、蛭川村、 東白川村(越原村外6カ村)、金山町(田嶋村の一部)の2市5町2村にわたっていました。

 これらの村々は河川の谷筋に発展し、生産高が200石たらずの小さな村がほとんどでした。 史料館では苗木領立体模型と支配していた村の分布パネルを設置し、位置と範囲がわかるようになっています。
「恵那山」2000年10月号
注1.今では当時の岩村城主は田丸直昌(ただまさ)とされています。父具忠はすでに隠居していて、直昌が家督を継ぎ西軍で参戦しています。



掲載(最終更新 : 2017年5月27日)

中津川市苗木遠山史料館
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