◆展示品(レプリカ)紹介
左)広恵寺の制札の実物 (右)原文漢字読み下し訳
苗木城の築城者については諸説ありますが、当館では「高森根元記」に依拠し、天文年間中(16世紀の中頃)に遠山直廉(なおかど)が苗木城を築いたという説に従っています。
直廉は、岩村城主であった遠山景友の次男として生まれ、勘太郎とか左近介とも呼ばれていました。 元亀3年(1572)に死去しますが、その娘は織田信長の養女として武田勝頼に嫁ぎ、信勝を生んでいることは周知のとおりです。 直廉に関しての資料は、古文献のほかには永禄12年(1569)に下した制札が唯一のもので、史料館ではこの制札を複製し展示しています。
制札の形状は駒形で、大きさは横39.5cm、縦56.2cmあります。 桧の正目板を使用し、板の厚みは約3cmで、制札上部にくぎ穴が1箇所残っています。 形状から判断すると、この制札は天部を保護するために屋根が付けられ、柱付けされて置かれたものであると推測できます。
この制札は苗木城の築城者とされる遠山直廉の実在を裏付ける資料であり、直廉が広恵寺(現・福岡町)周辺に勢力を持っていたことを示しています。
「恵那山」2002年7月号
*注/展示中のレプリカは屋根の付いた制札になっています。
掲載(最終更新 : 2017年6月 2日)