【資料紹介】「江」と苗木遠山氏の縁戚



京極家の家紋入りの棚(苗木遠山史料館所蔵)

大河ドラマ「江」三姉妹の母は信長の妹「市」でした。

お市の妹が苗木遠山勘太郎に嫁ぎ,産まれた娘(江の従妹)がのち武田勝頼に嫁いで,信勝を産みます。1582年,勝頼・信勝の死で武田家が滅びますが,信勝は苗木勘太郎の甥にあたり,武田家滅亡は苗木にはほろ苦い記憶にもなります。
(遠山友忠・友政親子は鳥居峠の合戦で武功を挙げますが,友政の兄友信はかねて武田に捕虜の身で,この時小諸で子二人と自刃しています。これは別の苦さ)

別の流れ...「江」の姉「初」は小浜の京極高次に嫁ぎますが,高次が死ぬ(1609年)と嫡男の忠高は「遠山妙玄禅尼をして之を守護せしむ。妙玄禅尼は慶安五年七月十六日に死去す」と京極氏の文書にあり,遠山氏の女性が高次の霊を守護するため出家したとされ,この妙玄禅尼は遠山友貞の二女と付記されています。

友貞の二女が1652(慶安5)年に死んだといいますが,友貞は長女さえ1666年生まれですから年代が合わず(京極氏記録の誤り),この女性は友政の妹か娘に当たるとみられます。

そして1609年に死んだ高次の墓を守れと命じられたというなら,「江」の姉が京極高次の正室であり,遠山姓の女性は側室で,子の忠高から出家を命じられたと取るのが自然です。

この子忠高の夫人が「江」の娘「初」(家光の妹)でした。だから徳川将軍家と京極氏は二代続けての縁戚となったことになります。

京極氏はその後四国の丸亀に移りますが,苗木遠山氏とは,江戸後期までに二度姻戚になります。

9代遠山友清の室は丸亀の京極忠矩(たかのり)の娘,11代遠山友寿の室は丸亀の京極高中の娘(実は岡部外記の娘)でした。



掲載(最終更新 : 2018年3月21日)

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