【資料紹介】桜島噴火の灰が苗木にも ―「諸事覚」の記録から―



11代遠山友寿(ともひさ)公は過去の役所日記などから記録を写し,いくつかの「諸事覚(しょじおぼえ)」を残しました。現在それを見分していますが,自然災害の記録を一部紹介します。
・宝暦4年(1754)7月24日大雨中津川
 橋場の橋板まくり,つなぎに人夫が出たところ,大木片方流れ,6人落ち4人が死亡。

・安永8年(1779)薩州桜島焼ける。10月5日苗木にも焼灰降る。
  ※鹿児島桜島で10月1日,1471年以来300年振りの大噴火,半月続く。明知では「6尺四方に凡そ6~7合も溜ま」ったそうです。 (熊谷博幸『明知御陣屋 乾』)

・寛政元年(1789)6月14日から日々雨。
 上地川(木曽川)が満水し,新橋が落ちる。釜ヶ橋も同じ。中津川宿下町の橋も同じ。橋場の人家二三軒が流れ,恵那山の麓から川砂が一円に押出し,駒場辺一円に荒地になった。七百石程の水害で永荒地になる。領内も所々川除切れ等有ったという。

※『中津川市史』には,「6月15日から18日まで大雨。川上川11谷抜けだし,川上川両岸洪水にて決壊す...」とあります。

・文化5年(1808)6月25日大雨洪水
 恵那山前山崩れ中村百姓家四五軒押潰れ中津川淀川四ツ目川二筋へ泥砂多く押込み,茶屋坂辺り砂押出し,二三新町家大破に及ぶ。中村にて三四人行衛不知。

新橋落ち中津川下町橋落ちる。

落合釜ヶ橋も同じで死人二人。近辺所々大抜けなり。

苗木辺りも同じ。納戸下藪の処崩れ 米屋前へ砂押込み,扶持方渡役所

安田恵兵衛宅上の処抜かれ家押崩る。欄干上用屋敷へ引越し居る。城坂二ヶ所抜けるなり。


異常気候や地震の頻発など,最近の天候を見ながら江戸時代がどうだったか,一端を見てみました。



掲載(最終更新 : 2017年5月27日)

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